考えすぎるひとの日記

基本ゆるやか時々激しく過ごすぞ

77 無職日記(無印)ビバ、車窓

スマホ編集 後日、pcにて添削予定

 

 

無職には時間があり予定の融通が効く。

なんだか格好の良さげな言い方だが

実際はただ働いてないから暇なだけである。

 

ところで今、私は静岡にいる。

理由は大学時代からの友人に会うためだ。

そのため遥々、大阪国からやってきた。

新幹線で来ようとしたがいかんせん値が張る。

ので無職の強みである時間を活かして電車できた。所謂、青春18きっぷというやつだ。

この切符に関しては賛否両論あるだろうが私は学生時代に出会ってから長期の休みがあるたびに使用してきた。

旅の楽しみ方には色々あるだろうが我流で大雑把に分けると①目的地で楽しむ。②目的地+道のりで楽しむ。の二つある。

私はどちらかと言うと②の方で寧ろ、道のりの方が楽しい時もしばしばある。

だから私はアホみたいな時間がかかりかつ体力も奪われるこの切符が好きだ。

 

勿論、移動時間の大抵は車内だ。

加えて、車内で何か特別なことをするかと言うとそうでもない。

ただ荷物の入ったリュックを前に抱え、車窓から外を見る。それだけだ。

けど、これが楽しく、リラックスもできる。

いつもネガティブ思考で騒がしい頭の中もさざなみほどに静かになる。

なんだかピアノを弾いている時と似たような感覚だと思った。

 

なんてぽちぽちとスマホで書いていたらそろそろ友人との合流時間が近づいてきた。

おそらく奴は仕事終わりで疲れているだろうからノージョブの私が労ってやろう。

 

 

どうでもいいが「ビバ(viva)」とはイタリア語で万歳!だそうだ。

76 無職日記(無印) たこ焼き人の慣習

おいっす、おら無職。

 

私は無職ではあるが少なからず友人がおり、彼らの仕事終わりや休日にドライブすることがよくある。車内では長年の付き合いもあり適当に雑談したり、黙って音楽を聞き入ったりと居心地はそこそこ良い。先日のお盆では帰省したメンバーも加わり5人でぷち旅行なんかもした。しかし、そんな穏やかな時間の中にも頭を悩ませる時間は存在する。目的地に向かう車内で誰かが開口した。

「(私の名前)、なんかおもろい話して。」

悪魔の言葉である、加えて名指しだ。

言うのが遅れたが私は生まれも育ちも大阪のたこ焼き人である。そしてこの時のメンバーも全員たこ焼き人だ。日本では各地に多種多様な文化、習慣があるように我らたこ焼き人にも会話のルール?がある。それは何か話題を求められた時はオチがないといけないのだ。オチのある会話、これがまた難しい。リーマン時代であれば上司とのコミュニケーションの為に話のストックは作ってあったが、今や無職。当然そんなモノは無かった。

「・・・」

皆無言であるため車のエンジン音がよく聞こえる。話題はまだ見つからない。ラックに手を伸ばしペットボトルのお茶を取り、ゆっくり喉を潤す。話題はまだ見つからない。時間伸ばしも限界に達し、白けてしまうが私は敗北宣言を口にしようとした。

「あそこの車スピード違反ちゃうか。」

運転手が左前を指さす。そこには道路脇に停車している自動車とパトカーがあった。ありがたいことに皆の注目が私から車に向き話題が変わる。今が好機と私もその話に便乗し事なきを得た。めでたしめでたし。 完

 

 

オチが弱すぎぃぃぃぃい。しかし、無職日記(無印)の三日坊主は回避した。

しかしながら、あまりにもオチが弱い為、私はたこ焼き人初等部からやり直します。

では

75 無職日記(無印)金は増えぬ出費は増える

日本にいればどうにかなると言った考えは案外、的を射ており

無職であっても暫くはどうにかなるようだ。

1年4ヶ月にも及ぶ休職時代では会社から傷病手当金

無職となった現在は前職の雇用保険のおかげで失業手当を受け取ることができる。

リーマン時代は源泉徴収票を見るたび、控除される税金に辟易としたものだが

今なら控除される数字たちを慈愛のまなざしで見ることができるだろう。

嗚呼、サンキュー雇用保険

 

しかし、この状況下でも危惧すべき問題はある。

無職には時間がある。

そして一日を外で過ごすアクティブな無職は金がかかるのだ。

そりゃあ最初の頃は一日中ベットの上なんてこともあった。金も貯まった。

でも、ありがたいことに治療等のおかげで外出もできるようになった。

良いことだ、良いことなのだが金が減った。

一人にしろ複数にしろ遊ぶには金がかかるのよ。

まあでもいいのだ。今は不安もあるが楽しくもある。

いいぜ無職、就職までの再モラトリウム期をぶっちぎれ。

 

 

生活習慣だけはちゃんと整えとけよぉぉぉぉお!!  byわし

74 無職日記(無印)

「不安とは漠然とした感情である。原因が特定できればそれは和らぐ。」

これは今、私が考えた言葉である。もしかしたら偉大な先人が似たような言葉を残しているかもしれないが、私はその事実を知らないのでこれは私の言葉なのだ。

 

タイトルにあるように私は現在無職である。

前職は新卒で入った会社を1年弱で休職し、

それから1年4ヶ月にも及ぶ「休職暗黒期」経て復帰!?

・・・叶わず退職!!

7月から晴れて「無職」の仲間入りである。

 

最近気付いたのだが無職には常に不安がつきまとう。

減る貯金、次の就職先、体力、精神力の低下

数え始めると切りがない。

そして、それらを横になりながら考えると

いつの間にか日は落ち、行動回数0気力0の大敗北である。

 

だがしかし、どうせ無職なのだとしたら私は前向きに無職を楽しみたい。

どうせ簡単にくたばることなど私にはできないと理解もした。

文章を書くと不安が和らぎ、自分の状態も把握できる。

ので無職日記を始める。

以上

 

今日はサンブレイクやってねる。

73 固定された視点を溶かす

令和4年は早めに梅雨が過ぎたなと思っていたが

今現在戻り梅雨?どころではないゲリラ豪雨

しとしと降る雨、蒸し暑くあまり心地よいものではない梅雨のある夏

そんな情景が絵としてとても好みだった。

だがしかし、もはや日本の夏到来を告げるのはゲリラ豪雨のファンファーレである。

風情もあったもんじゃねえや。

私の綺麗な夏の思い出はそっと心にしまっておこうと思った。

 

昨今いろいろと騒がしく疲れてしまうこともあるが、全てが騒がしいわけではない。

ふと右に目をやれば、今か今かと夏休みを待つ学生がおり、

左を見れば、仕事終わりの晩酌を楽しむサラリーマンたちがいる。

他にもこの季節を前向きに楽しんでいる人たちはきっといるのだろう。

夏の序章は散々だったが私も今からでもこの季節をエンジョイしようと思った。

72 そもそも孤独なのだ

どんよりとした天気のせいだろうか

はたまた、この生活の終わりが見えてきたからだろうか

最近の私は少し憂鬱である。

こんなときは何も考えずさっさと寝るのが良策なのだろうが

嗚呼、ざんねん頭は忙しい。

 

今日は孤独を恐れ、自分には理解者いないことを嘆いた。

「なぜ誰も心の穴を埋めてはくれないのか、一人は辛い。」と

意味のない問答は続き、疲労により頭がシャットダウンした。

だがしばらくして再起動すると一つの答えが見えてきた。

 

そもそも人間はみんな孤独であり

都合の良い理解者などは最初から存在せず

穴埋めは自分でするものだと。

 

絶望的な答えにも見えたが何度か咀嚼していく内に

案外悪いことでもないように思えてきた。

孤独にはなりたくないと言ったが、そもそも孤独なら気に病むことはなく

理解してくれる他人がいないのなら自分が理解者になればよい。

一番近くに理解者ができたのなら他人からの承認は必需品ではない。

もっと自分を認めてやろうと思った。

71 強制的問答

「人間は考える葦である。」

かの有名な哲学者ブレーズ・パスカルはこう言った。

なるほど、なるほど確かに考える事は大切だ。

だがしかし、何事にも用法用量というものがある。

薬も過ぎれば毒となるように考えすぎて行動できなくなり

蛸の頭のように膨れあがってしまっては意味がない。

※蛸の頭のように見える部位は実際は腹部である。

さあ、こんなときは落ち着いて深呼吸をしよう。

暫くすると私の頭の中にある天啓が降りてきた。

 

「じゃあジム行く?」

 

私は即答する。

「行ってきます。」