㉕天井の模様が震えているとき
依然、ベッドの上から更新中である。
日々、天井の染みをながめて過ごしている私だが、こんな生活でも気付くことはある。
私が見つめる天井には楕円形の模様が等間隔で描かれている、いわゆるドット柄といわれているやつだ。ある日、天井を見るとこの模様が細かく震えていることに気がついた。その日は疲れていたのですぐ就寝したが、翌日改めて確認すると模様には何も変化がなかった。このような日が続いて分かったのだがどうやら私の疲労具合と模様の震えは比例しているようだ。これからは天井の模様が揺れていたら体調に気を付けようと思った。
ちなみに今日の天井さんは凪のように穏やかである
㉓一番底からちょっと登ったところ
やっと書けた
季節の変わり目だからか、私のメンタルの周期なのか、はたまた両方なのか。
今回も無事地の果てから生還できた。とてもおめでたいことである。しかしエネルギーがまだ満ち足りてないのでベッドの上で書いている。今週のお題でも書こうかなと思っていたが肝心のお題が「秋の歌」。秋の歌など全然知らない、知らないが無理矢理にでも書いてやろうとお題のアナグラムを試みたが、その企ては呆気なく敗北した。
この前駅前を歩いているとクリスマスソングのような歌が流れていた。クリスマスソング自体は冬の歌なんだろうが、流れている時期は秋の終わりから冬の始まりにまたがっているので冬を予感させる秋の歌という解釈はできないだろうか。いや、少し強引すぎるか。
㉒かっこつけず正直に書く
24歳の私は先ほど天才の存在を知り、彼らと自分は根本から違うのだと理解した。別に私は能力が高いわけでもなく極端に低いわけでもない。ただ自分が努力した延長線上には彼らがいるのだと可能性があるんだと思っていた。さっきも言ったが彼らとは根本から違うので経験や努力こうのの話じゃない。そもそもの種が違う気さえした。
私は子供の頃から変で面白い物が好きだった。自分も変な物になれたらと思ったり、自分の血液型がAB型であることを誇らしく感じていた。当時血液型ごとの性格分析みたいな本もあり、性格形成に大きな影響を受けたと思う。
ただ僕はいろんな習い事や学校生活、受験戦争で負けに負け自分に自信という物がなかった。ただ思春期特有の自分は特別だとか他とは違うという考えだけは捨てることができなかったので、能力の代わりに自分が変なやつだということで代替した。
変でありたいと思い続けたことと少し好奇心が強いことが幸いして僕は少しだけ変なやつになったと思っている。自分で意識せずしている仕草や考えが、変わっているのかずれているのか分からないけど、これまで出会った人から変で面白いやつだと言ってもらえた。これはとてもうれしく感じる。
今回書いたのはこのパーソナリティでさえ天才から見れば凡庸なものなのかと恐怖したからだ。僕の未来には天才であることはないし、彼らと対峙してしまうのもいやなのでもうちょっと自分自身を深掘りして僕が動きやすいニッチな住処でも作ろう。
小さな蛙は井戸の外の大海を知り絶望したので、大海へは行かず自分の井戸を装飾することにした。
⑳いつの間にかいなくなったあいつ
遅すぎる
気付くのが遅すぎる
こんなに気付くのが遅れるとは本当はどうでもよいのか
そんなことは断じてない
やつとの付き合いはかなり長い、毎年必ず挨拶を交わすくらいには仲も良い
今回の失態はいつでも会えると考えていた私の慢心によるものだ
また一年か、さようならまた会える日まで月見バーガー
⑲水筒、PC、スマホ
今週のお題「赤いもの」
SNSやまとめサイトの記事で、男女のそれぞれの年齢とそれに伴う好きな物の変化をまとめた画像を見たことがある。その画像によれば、女性の好きな物は年齢と共に変化しているが、男性は年齢関係なくずっと同じものが好きなようだ。これを見たときは頷きつつも半信半疑だった。
それから時が過ぎ今、私はブログを書いている。
ブログを書くときはいつも大学生の時に購入したノートPCの他に、中学生の頃から使っている水筒と、最近買い換えたスマホをそばに置いている。どうやら今週のお題は「赤いもの」らしい。どうしようかと適当に考えながら周囲を見て少し笑ってしまった。赤と黒、赤と黒、赤と・・・どうやら男の趣味がいつまでも変わらないのは本当かもしれない。