56 ちょーてきとー振り返り 20歳からのピアノ 4年5ヶ月 \(^O^)/
大学生の頃からピアノの弾き始めて4年5ヶ月になる。
それなりに続いているのでちょっと振り返っても良いかなと思った。
弾いたまたは現在練習中の曲(太字は現在継続中)
指の練習用
・バイエル 済
(インベンション4,1,8番 済 現在 10番)
・スケールとアルペジオ (♭系 済、現在 H dur)
・ハノン (現在 13番)
曲(クラッシック)
・シューベルト 楽興の時 op.94-3
・メンデレスゾーン 春の歌(連弾)
・メンデレスゾーン プレスト アジタート
・エリック サティ ジムノペディ 第一番
曲(アニソン)
・柊奈緒 黄昏乙女アムネジア 「レクイエム」
以上、まあまあいろんな曲をやってきたのね。
次は時系列
2003年? 小1にてピアノを習うも半年でやめる。
↓ (ピアノに興味が無かった期間)
2017年9月 柊奈緒「レクイエム」を聴き、自分が楽器を弾けないことに憤怒し、家にあった電子ピアノで弾き始める。
2017年12月 母が通っていたピアノ教室の先生と出会いレッスンを受け始める。超絶運が良すぎる。思えば、先生のおかげで今の知識、考え方、技術がある。
2019年1月?たぶん 「四月は君の嘘に」に触発されて、木枯らしのエチュードを弾き始める。
2019年夏 はじめてのはっぴょうかい 曲 メンデレスゾーン 春の歌(連弾)
シューベルト 楽興の時 op.94-3 メンデレスゾーン プレスト アジタート
2020年4月~12月 暗黒時代 ピアノを弾かなくなる
2021年1月~2022年2月現在 レッスン再開、木枯らしの練習も再開
ピアノは弾けば弾くほど、自分の無知を知ることになった。難曲への挑戦も無謀なことかもしれない。だがそのことを知った上でこれからも楽しくピアノを弾き続けたい。あともうちょっと余裕ができれば聴く人の事を考えてピアノ演奏がしたい。
55 私はミミズになりたい
人間嫌な事が重なると逃避のことばかり考えてしまう。
ありがちなのが他の動物になりたいというやつだ。
鳥になってどこかへ飛んでいきたいとか、深海に住む貝になりたいとか。
今日、私はミミズになりたいと強く思った。
彼らは土を食し、排泄することで豊かな大地を作っている。
その行為は私たちにとって必要不可欠なものであり、重要な社会貢献だ。
巷で流行りのえすでぃーじーずとやらにも深く関わっているのではないだろうか。
羨ましい、実に羨ましい、恨めしくもある。
私も生きているだけで何かの役に立てたら、
嗚呼、私はミミズになりたい
でも夏場のアスファルトの上でカラカラにはなりたくないなあ
54 都合の良すぎるお金の収支計算
人間生活していると欲望に負け、思わぬ出費をしてしまうことがあると思う。
そのとき私は損をしてしまったと感じ、次の考えに縋る。
①「この前、確か還元ポイントが入ってたような、
そのぶんを消費したのだから今回の出費は帳消しできるのでは。」と
あまりにも都合の良すぎる考えである。
しかもこのようなときの言訳は無限に出てきてしまう。
ただ私はこの考え自体は悪いとは思わない。真の問題は別にあるのだ。
解説しよう
①はマイナスをプラスで0にする考え方である。
ではその逆の
②プラスをマイナスで0にする考え方も存在するはずである。
この②を無視して①だけを考えてしまうことが真の問題である。
確かに②は損をした気分になるだろう。
しかし①を考えるなら②も考慮しなければ収支計算は目茶苦茶である。
現実とは乖離したマイナスは存在せずプラスのみ存在する世界。
嗚呼、恐ろしや。
この悪癖は早急に治さねば。と今日も衝動買いした私は思った。
53 レールから外れた時はレールから外れた人生が始まる
集団に馴染めない自覚はあった。
きっかけは小学生のときにあった同級生との不和である。よくあるやつだ。
ただこの不和は幼い頃の私には少し刺激が強すぎたようで
以後、人との距離の取り方に支障をきたしてしまった。
人間関係による失敗を極度に恐れ、人と何を話したら良いかわからなくなり、
集団に属せばいつも苦痛を感じ、疲労するようになった。
だから、会社員として働くことが決まったとき、嫌な予感はしていた。
「早く他の選択肢を探さなければ。」
しかし、大学生の私には見つけられず、見つけたとしても切り替える勇気は無かった。
今現在、私は今の会社に恐らく戻れないであろうことを悟っている。
切り替える勇気の無かったレールは自動で切り替えられたのだ。
だがそのおかげで自分が生きやすい人生を探すきっかけを貰った。
その事実に感謝し今後の人生を謳歌しようと思う。 以上
52 自分の中の鬼飼い慣らし講座
今週のお題「鬼」
日本の慣習である節分ではよく「鬼は外、福は内」といった言葉を聞きます。
しかしながら、これは鬼≠自分の条件が前提にあります。
そのため鬼=自分または鬼が自分の中にある場合では
残念ながら「鬼は外」では対処できません。
したがって、本講座?では鬼を飼い慣らし共存する方法をご紹介します。
今回は初回ですのでメジャーな2つの方法に挑戦しましょう。
共存方法① 鬼の存在を認めましょう。
解説 鬼にも生存競争は存在します。そのため鬼の存在を否定すると強烈な反発を受け、かえってその存在が拡大することになります。注意しましょう。
共存方法② 鬼をコントロールするための体力をつけましょう。
解説 鬼のコントロールでは少なくはないエネルギーを消費します。万が一、エネルギー切れの状態で鬼が暴走すると肉体の主導権を奪われる可能性があります。日頃の生活には気をつけ健康な肉体を維持しましょう。
以上の2つの方法は簡単な様に見えますが習慣化には時間がかかります。
長期的かつ心にゆとりを持って実践しましょう。 終
51 美化された青春と美化すべき今
「少年時代は毎日が冒険だった。」
最近見かけたこの言葉、強い共感を抱いた。
「確かに、あの頃特に夏休みは毎日どきどきわくわくしていたな」っと懐古する。
果たして本当にそのように感じていたのか。
思い込みとはやっかいなものである。
時に端然とある事実に対し過度な装飾を施す。
「子供の持つ豊かな感受性は日々を冒険のように感じさせる。」
という思い込みは青春を美化し改竄する。
子供であってもきらきらしていない日々はあったのだ。
夏休みにも退屈な日はあった。
大量の習い事に、関わりたくない同級生、掘り起こせば切りなど無い。
勿論、経験の少ない子供にとって初めては沢山あったと思う。
ただ、それらに毎度毎度感動していたわけではない。
まあ過去を美化し思いを馳せることはいいだろう。
私が心配しているのは美しく尊い過去と対比して
今を退屈で色あせたものと見てしまうことだ。
日々の時間の大半を占める仕事、人間関係、落ちる体力。
辛いことはあるだろう精神をすり減らすことも、それでも楽しい日もある。
大人であってもきらきらした日は存在し冒険もできる。
思い込みとはやっかいなものだ。
過去だけでなく現在も改竄している。
人間である以上思い込みからは逃げることはできないのかもしれない。
ならばかけるフィルターは考えて選んだ方が良い。